どれだけ泣いた日々だっただろう。

May 17, 2025

どれだけ泣いた日々だっただろう。
不甲斐ない思い、怖さと悲しさと辛さと、、こんな苦難から何を学べと言うのか、、

2年前の世田谷区議会議員選挙の4ヶ月前から始まった私の落選運動。運動されていた方はお店を営んでいた。その方の素性がわかった際に、きちんと話を伝えたくて選挙が始まる2週間前にお店にも伺ったが、結果、その方の落選運動は選挙ギリギリまで続いた。その様子をSNSにも拡散されていた。

その頃、私としては事実と違う事を言われ、いわゆる誹謗中傷としか捉えていなかった。でも相手の方にとってはそれが正義。何を言っても理解してもらえない苦しみ、この後の選挙をどうやって闘えば良いか、、、
家族に迷惑をかけてしまっていること、支援者、同志や仲間にも心配をかけていること。

候補者ならきっとわかってくれると思うが、こんな状況になるとかなり追い込まれる。選挙が近いとナーバスになるからなおさらだ。私の心は何度も折れそうになり涙した日々。家族、特に娘達に励まされ号泣したことも度々あった。
実は、テレビにも出ている誹謗中傷に詳しい有名な弁護士にも相談をした。

2年前、苦難の末に3期目の当選を頂いたが、この2年、感情に蓋をして、日々の業務もこなしてきた。
しかし、いつしか私自身がこの気持ちと向き合わないといけない、どんな事があっても丁寧に対応する事の大切さ、という人としてのあり方、大事な気持ちが押し寄せてきた。

そして、相手様に対しての責め心という否定的な感情ではなく、「人は鏡、万象我が師」なんだという思いに心底至ると、これまでのわだかまりが薄らぎ、むしろ感謝へと気持ちが変わってきた。党や自分の奢りを振り返り、心から反省する機会を与えてくれたんだと。

相手様に自分の気持ちをしたためた8枚の手紙を書いた。そこに綴ったのは誤解されていること、真実の気持ちと感謝の言葉。この経験があったからこそ、人の悲しみや苦しさ、辛さにももっと理解できるのではないか。もっと人に寄り添える議員でありたいと強く思うこと、、その事に気づかせてくれたこと。

ただ、一般的に誹謗中傷は法的な判断に委ねる場合もある。私もその手段を選択する事もできた。でも、私はその手段を選ばなかった。相手を恨んだり憎んだりするのではなく、そこに至った現象が自分に何をもたらし、気づかせてくれているのか。私は立ち止まって考え、深めるのに2年の時間がかかった。

そして、そのプラスの感情が流れ出すと相手様にも素直に感謝の言葉が伝えられる自分がいる。心の底では、相手様と、こうして心で握手できる日が来るのを求めていた。

手紙を届け、そしてお店の品を購入。その方から写真の掲載とお店の紹介も快く受け入れていただいたので悩んだがアップすることにする。

店主もお店も素晴らしい!!と心からお伝えできる今日が訪れた事に感謝。
明けない夜はない。
どん底から這い上がってくるとまた違った景色が見えて来そうだ。